「UX」をどのように捉えるべきか
NTTデータ 取締役常務執行役員 松永は、まず金融分野を例にこう語る。
「私が携わる金融分野について言うと、10数年前までは銀行サービスを受けるには店舗に出向いてATMのような専用の機器を使用する必要がありましたが、数年前あたりからスマホひとつでほとんどの金融サービスを受けられるようになりました。こうした変化は銀行サービスを利用するシーンにも大きな変化をもたらしています。以前であればオンライン取引のピークは、多くの方々がATMに並ぶ昼間だったのですが、今では店舗が開店する前の朝になっています。銀行への給与振込などがプッシュ通知で知らされるようになり、通勤の移動中にスマホから振り込みや口座間の資金移動などが行われるようになったためです」(松永)
そもそもUXとは、単純に見た目が変わるというだけではなく、人々の行動様式、さらには社会のあり方すらも変える力があり、そこにキャッチアップしていかないといけないのが今の企業ではないかと問いかける。
THE GUILD代表 サービスデザイナー 深津貴之氏は、前提として「UXというのは、画面上の使いやすいボタンであるとか派手なアニメーションとかではなく、もう少し大きな枠組み」であると続ける。
「その人がサービスに触れることでどういうことを感じるのか、どういった体験をしてどんな思い出を残せるのか。UXは総体的な大きな話になります。そうした前提のうえで、企業がUXを導入する際に重要となるのは、「どうビジネスに貢献するのかを可視化すること」でしょう。それができないと、なかなか説得性を持たせることはできません」(深津氏)
あるユーザー体験を企業に導入するには、企業の言葉でユーザー体験を記述することが大事だという。たとえばUXに配慮した開発をすることで、開発工程がどれくらい改善されるとか、ユーザーがどのぐらい増えて、最終的にどれほど儲かるのかなど、企業の活動に応じた目標を定めて、分かりやすく成功事例を積み上げていく必要がある。しかし多くの企業はUXに対する事前の期待値は高いものの、具体的にどうすればいいのか、導入したはいいが何をどう評価すればいいかが把握できず、結局「UXはよくわからない」となってしまう。
深津氏は「海外と日本との違いについて言及すれば、これは私の持論ですが、グローバル経済に接続されているかどうかが、大きなポイントとなるのではないでしょうか。日本には独自の商習慣をお互いにわかっているという前提で、サービス等の設計がなされがちです。しかしグローバル経済に接続されていると、宗教、政治、人種、地域などがまるごと違ってくるため、暗黙の常識は一切通じません。そうなると、ユーザーのバックグラウンドとは関係なく、普遍的にわかりやすいものをと、設計時から意識するようになるわけです」と続け、グローバルなサービスであるほど、UXへの投資は効果が出やすいと語る。
UXの向上を実現するために必要なものとは何か
さらに深津氏は、ゴール──つまり何をしたいのかを明確に定義していると、UXの効果が出やすいという。
「たとえばドリルという機材を考えてみましょう。インターフェースレイヤーでは、誰が一番性能がよく使いやすいドリルを作るかという勝負です。ですが、UXのレイヤーにおける勝負では、そもそも最初から穴が空いていたらいいのではないか、穴をあける行為を苦痛じゃなくするにはどうすればいいかなど、もう一段メタ的なところでバリューを作ることになっています。そのため技術や市場が飽和しているところほど、ブレイクスルーが生まれやすいわけです」(深津氏)
松永もこれに強く同意する。「今はいかにしてモノを売るのかではなく、モノを包含したコトをどうやって売るのかに変わってきています。たとえばIoTの普及でスマホからライトを点けたり消したりできるというのはもはや珍しくありませんが、ユーザーは別にスマホで操作したいのではなく、ライトをコントロールできればいいわけです。であれば音声デバイスでも脳波でもいいのではないか。そうした転換を考えないで、単にスマホの画面の改善にばかりこだわっていると、UXの罠にハマってしまうことになるのでしょう」と語り、UXの改善に発想の転換が求められることを主張する。
深津氏はエクスペリエンスを究極まで追求していくと、人間が自分の意思でやりたいものと、この世から“透明になって”消えていくもの、といったように二分化していくと説明する。
「私はよく掃除にたとえます。使いやすい掃除機があったとして、次の段階としては、使って楽しかったり、自尊心が持てたりすることが良いUXとなるわけです。さらにその先の世界は『透明化』といって、そもそも部屋が汚れなければいいのではとか、『掃除』という概念がいらなくなればいいのでは、といった発想になってきます」(深津氏)
プロダクトやサービスにUXを活かすために取り組んでいることとは
NTTデータがこれから手掛けたいのは、スタートアップと、人材不足で悩む日本のさまざまな地域とをマッチングさせることで、日本における最大の課題である人材不足の解消に向けて貢献することだと松永は語る。
「当社としては、スタートアップと地域のどちらとも深い付き合いがありますので、2歩も3歩も踏み込んで、社会全体をデザインするところまで取り組んでいきたいですね」(松永)
最近の深津氏の金融に関する取り組みとして、SMBC日興証券が提供しているサービス「日興フロッギー」の立ち上げを、サービス設計側から支援している。このサービスは株を買う行為自体が多くの一般の人々にとって敷居が高いという問題を前提にしている。そこで、メディアとして楽しんでもらいながら、記事を読んでいるうちに金融の基礎知識が付いて、ユーザーが自然に成長しながら、株の売買ができるようなサービスを目指したという。
発想の転換が欠かせないUXにおいて抑えるべきポイントは何か
深津氏はUXのポイントについて「推奨行動」と「非推奨行動」をもとに、よりわかりやすく説明する。「誰でもやりやすい方法を少し雑に言ってしまうと、ユーザーにとっての『推奨行動』を一番手前で一番楽にできるようにしつつ、『非推奨行動』を一番面倒になるよう設計することになります。するとほとんどの人は推奨行動のレールに乗るので、一番コストパフォーマンス良く、また社会を良くしつつ、ユーザー体験の総和もできてしまいます」という。
「新型コロナウイルスのワクチンにたとえると、打ちたい人が誰でも自由に打てるようになると、これを面倒と考える人はなかなか打とうとしないものです。それは最適行動が面倒だからです。しかし逆に、ワクチンが会社や学校ででき、拒否も可能だがそのために毎回書類の提出が必要…といったデザインであれば、ほとんどの人はワクチンを打つようになるはずです」(深津氏)
リアルとデジタルの融合:UX向上のために重要なこととは
松永はリアルとデジタルの融合という切り口で、UX向上に向けたポイントをこのように語る。
「新型コロナウイルスの話で言うと、コロナは間違いなくリアルであり、そこにデジタルを融合させていくためには、データの分析が重要となります。分析の仕方には注意が必要で、例えば、リモートワークの日本での普及率が何割以上になった等はデジタルに直結しない分析です。なぜならば、東京とその周辺の神奈川、埼玉、千葉の4都県と、その他の43道府県では、リモートワークの普及率に大きな違いがあり、にもかかわらず日本全体の平均値で話すと、大きな間違いを犯してしまうことになります。リモートワークの普及率には大企業と中小企業でも大きな格差がありますが、日本企業の99%は中小企業なので、そこをどうIT武装するかという議論ができれば、日本全体のリモートワークの普及、さらには感染症対策にもつながってくるわけです」(松永)
その上で深津氏の考え方を引用し、「深津さんがブログで書いているように、多様性と均一性の問題で、すべてを完全にフェアにやるとグレーになってしまいます。グレーというのはなんでもない均一な状態です。対して、きちんとセグメントなどで分けて、一つひとつに対応するようなソリューションを生み出していくというのが、リアルとデジタルの適切な融合ではないでしょうか」と述べる。
深津氏はUXの実現にセグメンテーション前提で考えるのが大事だという考えに賛同し、そのためにはまず何がリアルで何がデジタルなのかをきちんと理解する必要があると語る。
「リアルからデジタルへとアウトソースしたほうがいいものは、リソースに限界があるものです。たとえば紙の書類。増えるほど物理スペースを消費し、輸送にもコストや労力がかかる。こういうものは、デジタルにまかせた方がよいでしょう。また、土地なども、会社から近いか遠いかといった問題は、テレワークの活用でデジタルへアウトソースできます。逆に、土地の地盤が強固であるとか、家の前に海があって毎日でもサーフィンができるなどの要素は、デジタル化が不可能です」(深津氏)
「これらの違いをきっちりと分けるようにすれば、場所によるセグメンテーションの中から、都心から多少離れてはいても、海や山があって景観がよく暮らしやすく都市がつくりやすい土地、一方でただ平野部であるだけが特徴でデジタルにリプレースされていく土地など、可視化できるようになるはず」と深津氏は続け、UXに関する深い議論を締めくくった。
本記事は、2021年1月28日、29日に開催されたNTT DATA Innovation Conference 2021での講演をもとに構成しています。