豊かな自然は、時に厳しい試練を私たちに与える。日本人は古代より、台風や地震の脅威にさらされながら生き抜いてきた。災害が頻発し激甚化する今、命や財産を守るために大切になるのが、データの活用である。
村上建治郎氏は、東日本大震災のボランティア活動を通して災害時の情報伝達に課題を感じて起業。AIを用いた防災・危機管理ソリューションを提供するスペクティの代表取締役CEOを務める。NTTデータで防災・レジリエンスの推進を担当する中村秀之氏との対談では、「情報」を軸に防災とレジリエンス(回復力)の現状と、あるべき姿へ向けた取り組みを語り合った。
──お二人は日本の防災やインフラの現状を、どのように認識していますか。
中村日本のインフラは先人の努力もあり、海外諸国と比較しても、とても堅牢だと思います。しかし、懸念もあります。膨大な設備や施設の老朽化に対して、メンテナンスが追いつかなくなってきているのです。
今後は、その大きな要因である人材不足がさらに進むのに加え、財政面で公助が圧倒的に減っていくと予想されます。インフラの維持は、自助、共助で補っていく転換期に差しかかっていると言えるでしょう。
また、設備やそれを支えるシステムの技術レベルは高い一方で、個別最適化されてしまった結果、必要な人のところに必要な情報がタイムリーに届けられていません。
災害は広域化、複雑化してきているのに、対応できる基盤が整っていない。効率的に財産や命を守れる情報基盤のあり方を考え、整備していく時期にあります。個別最適や縦割りではなく、「横のつながり」がキーワードになるでしょう。
村上阪神・淡路大震災や東日本大震災を経て、ハード面の整備は進みました。かなりの揺れでも倒れない建物が多く、津波対策の堤防なども整備されています。
一方で中村さんがおっしゃる通り、メンテナンスや更新にコストがかかりすぎています。阪神・淡路大震災から28年、東日本大震災からでも11年以上が経ちました。いつまでもコストをかけて新しくし続けるのは難しいと思います。
そこで今後は、情報の的確な流通など、ソフト面の整備にも力を注ぎたいところです。ハードに今ほど予算をかけなくても、ソフト面の充実でできる災害対応がある。例えば予測を強化することによって、事前に避難できるようになります。また、タイムリーかつ的確に情報が伝わることで、より効率的な避難誘導が可能でしょう。
中村ソフト面の充実に欠かせないのがデータですよね。防災や有事の際の被災状況の把握をより高度にするためには、データを精緻化していく必要があります。
IoTデバイスやドローンといった技術の発展によって、今までなかったデータを集められるようになってきました。こうした新たなテクノロジーを有機的に結びつけて有効活用し、防災のレベルを一気に上げていく。今はそんな状況にあると感じています。
──お二人の専門分野である、防災に関する情報やデータの流通、可視化、分析においては、どのような課題があるのでしょうか。
村上ようやくデータがオープン化されてきていて、それはそれで喜ばしいことですが、一方でフォーマットがバラバラなので活用しにくいのが現状です。
例えば、ハザードマップも、自治体によってはデータ化していますが、データフォーマットはバラバラ。本来は統一して利便性を高めるべきですが、そもそも各自治体は連携、横のつながりを想定していなかったので、仕方ない部分もあります。
中村おっしゃるとおりですね。アメリカでは災害に関する情報の標準規約があり、それにのっとってデータを流通しようとする取り組みがあります。日本でも、政府が動いていることは認識していますが、どこまでスピードを上げて取り組めるかが課題だと思います。
また、先ほど簡単に触れましたが、企業、自治体、政府がデータを共有し合うプラットフォームを整備できていないのも課題です。災害が広域化するほど自治体や企業をまたぎますから、被害状況の把握が不十分な結果、適切に対応できないケースも出てきます。例えば、境界線にある集落が取り残されるような事態も考えられます。
それからもう一つ、データをタイムリーに届ける手段が限られているのも解決すべき問題でしょう。
データを連携したうえで、住民や企業の担当者、現場で対応する防災関係者といった必要な人に、必要な情報を、必要なタイミングで届けることができるかという観点での検討があまり行われてきませんでした。その結果、FAXと電話とホワイトボードが主役という現場がまだまだ多いのが実態です。
村上同意見ですね。私がSpectee(当時の社名はユークリッドラボ)を起業したのも、災害時の情報伝達に課題を感じたからでした。
2011年3月に発生した東日本大震災では、その被害の甚大さにいてもたってもいられず、ボランティアとして現地に向かいました。そこで感じたのは情報のギャップです。
東京で得られる情報はテレビぐらいで、石巻市のボランティアセンターからの中継を見ていると、ボランティアが受付の長い列に並んでいて、全国から支援のために大勢の人が集まっていることを知りました。
その印象のまま石巻市の隣にある東松島市に行ったのですが、ボランティアの姿はそれほど多くありません。ボランティアセンターの人に聞いてみると、人手が足りなくて困っていた。
(iStock/RyuSeungil)
テレビに映し出されていたその行列は限定された都市のみで、広い東北でほとんどの町は人手が足りていなかったのです。そのとき、マスメディアの情報に限界を感じました。ミスリードしてしまうし、本当のリアルな東北を必ずしも映していない、と。こうした情報格差を解消しなければ、日本の防災の未来は危ないという非常に強い危機感を覚えました。
当時、一番役に立ったツールはTwitterで、ボランティアの募集状況や物資不足の情報が充実していました。起業して最初に作ったのは、そのとき役立った経験から、指定エリアのツイートをまとめるアプリでした。まだスマートフォンの所有率が1割程度の頃でしたが、好評いただきたくさんの方から感謝されました。
現在は大幅にアップデートし、SNSだけではなくカメラ映像や自動車の走行データなどさまざまなデータを用いて、報道機関やインフラ企業、自治体などに対して危機を可視化し予測するBtoBサービス『Spectee Pro(スペクティ プロ)』を提供しています。
中村多彩なデータを扱う際には、権利関係や個人情報保護とのせめぎ合いが起きています。その調整を行いつつ、SNS情報の真偽性を確かめたり、情報過多にならないようにしたりするのは、きっと大変だったでしょうね。
これからは本当に必要な人に情報を届けるパーソナライズしたサービスが求められるようになるでしょうから、データの流通方法やサービス提供の仕方をいかに整理し、個人情報保護等の観点をクリアしていけるかも、防災やレジリエンスを高度化するための課題だと言えます。
村上そうですね、いろいろ地道な作業が多かったです(苦笑)。Specteeでは、データの交渉班を作り、防災に必要な世の中にあるデータをリストアップすると200ぐらいの項目になりましたが、それを一つひとつデータの保有者に交渉していきました。
交渉してみると、難しいかなと思っていた相手でも意外にも、公開してくれるケースがあります。
例えば、日本海側の大雪で発生する自動車の立ち往生を解消するための実証実験では、商業用のトラックに搭載するカメラのデータを取得して道路の凍結を自動判別しているのですが、トラックメーカー数社からデータの提供を受けています。
一方で、一般車のドライブレコーダーからデータを提供してもらうのは、プライバシーの観点から今のところ、難しい。
非常に地味な作業ですが、こうしたデータの収集と整備を進めなければ、もう1段日本の防災レベルを上げられないと覚悟を決めて、進めてきています。
──このような課題がある中で、明るい兆しはあるのでしょうか。
村上情報がバラバラの状態は、2011年頃と比べれば格段に良くなっています。特にこの数年、解消に向けた動きが活発になっているように思います。大学での研究も進んでいますし、内閣府のプログラムでは基盤的防災情報流通ネットワーク「SIP4D」も整備されました。
中村災害は民間企業1社で対応できる話ではないので、国を挙げて整備することは重要です。ただ、国や自治体、その関係機関の取り組みでは制約も多いのが実情。そんな中、Specteeのように縛られずに「横ぐし」を刺すサービスは画期的だと思います。
NTTデータとしては、これまでさまざまな防災関連ソリューションを自治体に提供してきた立場として、個別の事情を重視するあまり、横のつながりを図るような仕様を提案できていなかった反省があります。そのことも踏まえながら、災害対応力の高いハイレジリエント社会を構築するために、「つながる」を推進しているところです。
具体的には、災害対策に関する多彩なプロダクトを「一つのサービス」としてつなげ、情報収集、意思決定、応急対応、復旧・復興等のすべてのフェーズで、迅速かつ的確な対応を支援するデジタル防災プラットフォーム「D-Resilio」を提供しています。
私たちが目指しているのは、ここにデータを集めるという話ではありません。災害は地域特性もあることから、個別に作られてきたシステムが存在します。それも含めて、さまざまなデータやアプリケーションを有機的に連携させることで、広域に対応するバーチャルな災害対策室を作り、情報を連携し合うのです。
これまでNTTデータでは、自治体やインフラ企業で導入されている災害対策室向けの情報システムを作ったり、氾濫水域を把握するために気象データや衛星データを抽出して提供するサービスを展開したりしてきました。
こうした様々なデータを「D-Resilio」で流通させることで、自治体、企業、地域コミュニティなど社会全体が、災害対応に必要な情報をすぐに入手できるようになります。
さらにはAIによる分析を通じ、災害対策業務や救援計画づくりの省人化、スピード化が可能です。
これにより、地域全体の災害対応力を向上させられると考えています。
各社が自分たちのプラットフォームが持つ強みを生かしながら、必要な人に、必要な情報を、必要なタイミングで届けられる社会の実現を目指しています。
村上このプラットフォーム、作るのが難しかったのではないですか。全体的に統一されたプラットフォームがあったほうが、もちろん効率的ですし、コストも抑えられ、いいサービスにつながりますよね。
中村1社での対応が難しい反面、各社が育ててきた素晴らしいソリューションやデータがある。お互いに協調領域を作ってつなげていける世界が防災には必要だと考えています。
村上さんの話を伺っていると、Specteeが実現しようとしている世界は、私たちが目指している世界とも大いに重なっています。
正直に言えば、一部サービスが競合する部分もあるかもしれません。ただ、私は国全体のことを考えれば、お互いがマーケットを食い合うような形にはしたくありません。
サービスを創造するためのアイディアを出すところでは戦っていく一方で、Specteeのように素晴らしい技術とアイディアを持つ会社には、お互いの強みを生かせるような共創関係を築きたいと考えています。
村上Specteeのミッションは「“危機”を可視化する」で、パーパスは「社会のレジリエンスを高め、持続可能な世界を実現すること」です。さまざまなデータと技術を使って可視化し、それによって被害を抑え、人の命も守る。そのためにも、中村さんが提案するような協調関係が築けるといいと私も思っています。
この防災領域で、アメリカでユニコーンが複数誕生しているのに、日本からはまだ出ていません。災害がこれだけ起きている日本だからこそ、私たちスタートアップが防災テックで世界をリードすべきだと考えています。
中村自社サービスの向上だけにこだわらず、お互いの技術やデータによってサービスを高め合えればいいですね。ユニコーンになれる道筋が見えているのなら応援したいですし、世界で語れる会社が身近に存在してくれるのは、私たちとしては本当に頼もしいことです。
災害大国である日本だからこそ、世界をリードしたいという想いは本当にそのとおりで、私も強く思っています。NTTデータも、防災領域において世界で知られる存在を目指します。
制作:NewsPicks Brand Design
執筆:加藤学宏
撮影:森カズシゲ
デザイン:藤田倫央
取材・編集:木村剛士