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0.グローバルサプライチェーン時代におけるデータトラストの在り方
新型コロナウイルスは、社会を一変させた。この変化を乗り越え、今後描くべき新しい社会像を描くためには、デジタル技術の力を活用していくことが必要不可欠だ。このような中、NTTデータ経営研究所ではNTTデータグループの保有するデジタル技術に関するさまざまな知見を活用し、ニューノーマル時代の新しいデジタル社会に関する提言、「Re-Design by Digital ~デジタルによる社会の再構築~」をまとめた。
「目指すべきデジタル社会の方向性」「デジタル社会を支える情報システムの在り方」「デジタル社会実現のために必要となる人材」の3つの観点から、具体的に実現すべき7つのメッセージを発信している。
今回は、このうちの1つである「社会システムにおける信頼の再設計」(トラスト/レピュテーション)に着目したい。
サプライチェーンのグローバル化は新たな段階に入った。あらゆるものがデジタル前提となり、従来とは異なる相手、遠く離れた見えない相手とのデータの取り交わしを、企業だけでなく個人でさえもオンライン上で行うことが日常化している。一方で、オンラインコミュニケーションにおいては、相手をどうやって本人と確認するか、取り交わしたデータの信頼性をどのように担保するかなどの課題も顕在化していくだろう。
そのような課題に対し、企業、個人はどう向き合っていくべきか。その解決手段のヒントは、自律分散的に真正性を担保できるブロックチェーンをはじめとする分散技術だ。
本稿では、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授、(株)企の代表取締役であり、ブロックチェーン技術やデータトラストの在り方に詳しいクロサカタツヤ氏と、NTTデータでブロックチェーン技術をはじめとする分散技術の社会インフラ基盤への活用を推進する赤羽 喜治の対談を通じニューノーマル時代のコミュニケーションにおけるトラストを考えてみたい。
1. ブロックチェーン技術の活用事例と、その先
赤羽NTTデータは、世界25の国と地域で500名を超えるブロックチェーンの専門家集団を有し、ブロックチェーンCoE(Center of Excellence)を組成しています。これにより、公共、金融、製造等幅広い分野のお客様に対してブロックチェーン技術の活用ニーズに迅速に対応できる体制を整えています。おかげさまでNTTデータのブロックチェーン技術・ビジネスへの取り組みは、海外調査会社のレポートでも世界の5本の指に入ると評価をいただいています。
図1.ブロックチェーンへの取り組み(Blockchain CoE)
赤羽ブロックチェーンが力を発揮するのは、中央集権的なスキーム形成が困難な領域です。実例としては貿易情報連携基盤「TradeWaltz」があります。2017年から日本を代表する銀行・保険・荷主を集めてコンソーシアムを立ち上げ、2020年からトレードワルツ社として事業を開始しています。貿易業務ではFAXや国際郵便がいまだに用いられており、紙による非効率なプロセスが多く残ります。企業内でのシステム化は進んでいるのですが、業界全体としての取り組みではないので、各社が紙やPDFで送られてきた情報を自社システムに手入力し直すことは当たり前。入力ミスが発生する可能性が絶えずあります。しかも取引の過程には多数の手続きが存在し、データ転記による事務効率の煩雑さや、書類の改ざんリスクも抱えているため、早期にデジタル化すべき分野です。ただ、貿易は信用の世界であり、紙を用いた業務をデジタル化する場合、紙の持つ原本性(単一性、占有性、完全性)を継承する必要があります。そこで、ブロックチェーンにより原本性を担保した、一気通貫の貿易データ連携基盤「TradeWaltz」が生まれました。貿易に関わるあらゆる業界で利用できることを念頭に置き、構造化データとして保存・利活用可能な形にしています。重複作業や入力ミスの問題を解決することで、大きなコスト削減効果を発揮することを経産省の実証実験でも示してきました。
図2.貿易情報連携基盤「TradeWaltz」の概要
赤羽昨今ではEUの域内へのサーバ設置義務など、データを自国のものとして囲い込む動きがあります。一方貿易のように関係国間で同じデータが共有できていることを保証する必要のあるケースが数多くあります。TradeWaltzは各国のデータガバナンスを確立したうえで、原本性を担保しながらデータを共有できるプラットフォームであり、どちらの要件も満たします。同時にGAFAのようなテックジャイアントだけに情報や利益が集中するデータディバイドの克服にも役立ちます。また、TradeWaltzではPDFのようにシステム上で再利用が難しい形ではなく、構造化データとしてデータを保存・蓄積しており、蓄積されたデータを活用した新たなエコシステム形成を目指しています。
こうした新しい社会インフラが定着するにあたり、法制面の課題は残っています。例えば、「船荷証券」のような有価証券性を持った書類は、法律的にも紙でなければなりません。そこで国際連合国際商取引法委員会(UNCITRAL)の電子的に移転可能な記録に関するモデル法MLETR(The Model Law on Electronic Transferable Records)を採用してもらうように規制改革要望等で訴求しています。また、法人の本人性をどのように担保するのかということも課題です。TradeWaltz以外にも多くのプラットフォームがある中、プラットフォーム横断で法人の本人性をどう担保するのか、法人による電子署名基盤を整備し、普及させなければならないと考えています。
ブロックチェーンは分散技術としてはまだ発展途上です。NTTデータでは今後ブロックチェーンのさらに先の分散技術に取り組み、自律分散社会の実現を目指しています。この自律分散社会の実現のためには、分散技術と、その上の信頼の連鎖の起点となる「トラストアンカー」の二つが必要であると、TradeWaltzを通じて如実に感じています。
クロサカ私が関わっている仕事の中では、「Trusted Web推進協議会」(※1)において、NTTデータが取り組むブロックチェーンの問題意識や関心に近いところが取り上げられていると思います。データがより信頼できる状態であるために、データの確からしさをどのように担保して、完結した一つのシステムではなく連携していく形に実装していけばよいかを議論しています。
政府の取り組みとして昨年度から始まった内閣官房デジタル市場競争本部の取り組み。
2. ブロックチェーンの本質は“合意形成”
クロサカ現在も港湾システムを支援していることもあり、昔から解決できなかったことが前に進みそうであることや、抱えている問題意識はよくわかりました。今回、ブロックチェーンを含めた分散技術を用いてシステムアーキテクチャレベルから問題解決を図ろうとしたのはなぜなのでしょうか。
赤羽貿易自体のデジタル化はしているが、相手ごとにやり方が違っているために進展が阻まれている例を見てきました。国際商業会議所(ICC)が標準化をしてもなかなか徹底されない中で、個別相対(バイラテラル)ではないものを作ろうとした場合、まずはアーキテクチャの標準化から始めようという結論になりました。
クロサカ私も、バイラテラルの事象に阻まれてデジタル化が阻害されている具体例を見たことがあります。日本の地方港で、IT化が進んでいる港であっても、肝心の「船がいつどこからどうやって来て、何が積まれているか」という情報はエクセルの手入力データをメール添付でやりとりするままだという話を聞いたことがあります。相手国も日本も、互いに相手方のシステムに合わせるつもりがないため、FAXのやり方を踏襲する形でエクセルになったとのことでした。アーキテクチャから手を付ける一つのメリットは、「皆が乗れる船」を作り直すことで合意形成をしやすくすることだと思います。
3. トラストアンカーになるインセンティブを用意することが重要
クロサカTradeWalzは分散技術を社会インフラに適用できた成功例だと言えるでしょう。ただし、今後さらに分散技術が社会インフラに浸透していくと、データ管理の主体がTradeWaltzのような存在ですらなく、ネットワーク上に広く分散したデバイス群(スマホなどのモバイルデバイス)が主体となる将来も想定されます。
そのような状況において、(電子的に)データの信頼性を担保するには、信頼の連鎖を構築することが必要であり、その起点となるトラストアンカーが重要になってくると考えています。ただ、トラストという言葉がバズワード化しているように、トラストアンカーという言葉も人によって考え方が異なっています。ルート認証機関(root authority)なのか、エンティティへの証明書を発行する主体なのか、混濁している状況です。NTTデータとしてはどのようなステークホルダーをイメージしてトラストアンカーと言っているのでしょうか。
赤羽今までの社会的な枠組みの中で本人確認(Know Your Customer=KYC)をやっている機関がトラストアンカーの候補だと考えています。金融であれば銀行が該当します。
クロサカKYCは重要視されていますね。金融に限らずさまざまな分野でサービスの信頼性を高めるためにそれぞれの分野なりのKYCが登場しています。そのような中、ドコモ口座不正引き出し事件のような、KYCの定義や水準が異なる分野をまたぐサービスでのインシデントが起きています。KYCやアイデンティティ保証レベル(Level of Assurance=LoA)は国や分野によって定義も異なるのですが、この相互運用性をどう高めるかが積年の課題です。貿易はプロトコルが整っているとはいえ、国によって考え方や手続きが異なる中、どのような課題が見えていて、どのようなステップで乗り越えようとしているのでしょうか。
赤羽トラストアンカーの役割だけではビジネス的にペイすることは難しいでしょう。そのため、トラストアンカーを担う企業にそれを乗り越えるだけのモチベーションを持たせないといけないと考えています。
クロサカ電子署名は重要だが、それ単体では食っていけないという現象に似ていますね。経産省の実証実験で、TradeWaltzによるコスト削減効果が発揮されたとのことでしたが、それだけではインセンティブとしては不足していると感じています。トランザクション増加効果が見込める・利益率が増加するといったアップセルは取れそうでしょうか。
赤羽アップセルではありませんが、EPA(※2)の利用において、輸出入に係る関税の撤廃や削減がメリットになります。そのため今まで紙で行おうとすると大変すぎるために行われていなかったことができるようになるというインセンティブはあると言えるでしょう。例えば、「ASEAN域内で作られた部品が7割を超えていたら関税を安くする」という場合、部品に使われている部品やその原料に関する原産地証明書をとってこなければならず、紙では大変なので諦められてきました。諦めたことでEPA/FTAを活用できなかった総額は1兆円規模になっているという調査もあります。誰かの仕事を無くしてしまうコスト削減と違って、これまで活用できていなかった枠を獲得する話なので、企業にとっても魅力的なのではないかと思っています。
クロサカ単独だと投資しきれなかったり、投資する意味がなかったりすることに対し、インフラを作って多くの人々が次のステージに進めるとインフラをめぐるステークホルダーが高い競争力を獲得し、インフラそのものの価値も増大します。このような話をしていくと、急に楽しくなってきますね。
「Economic Partnership Agreement」の略称で、「経済連携協定」のこと。
4. 業際に取り組み、社会を変革する。鍵は“レピュテーション”
クロサカここまでトラストというキーワードを中心に議論してきましたが、今日の検討テーマ「社会システムにおける信頼の再設計」(トラスト/レピュテーション)にはもう一つ「レピュテーション」というキーワードがあります。この「レピュテーション」とは、「誠実に仕事をしています。社会をよりよくしようとしています」と言えることでしょう。
TradeWaltzの例でも示されたように、業際的にやっていかなければ本当の課題解決にはならず、社会を変えることはできません。業際、つまり業界の枠を超えるためには、違うマナー・習慣を持っている人に働き掛ける必要があります。その時必要となるのがレピュテーションなのだと。トラストと、トラストな仕組みを作ろうとする者自身のレピュテーションが背中合わせになった状態であるからこそ両方高められると、今日のお話を聞いて感じました。
赤羽TradeWaltzのコンソーシアムを立ち上げたころがまさにそのような状態で、お客様と個別で打ち合わせをしたときに、各業界から聞いた話を総合してもつながらないという現象が起きました。各者が間違ったことを言っているわけではなく、その人からはそう見えているということなのです。一つのディスカッショングループの中に全業界が入るように毎回シャッフルして議論することで、お互いが見ている景色を理解してもらいました。
クロサカ「言うは易く行うは難し」で、理念はそうだが現場で乗り越えなくてはならないところがたくさんあると思います。立場が違えば見方が違うのは当たり前。だからこそお互いを理解していく必要があり、それこそが「トラストをRe-Designする」ということだと思います。「デジタル庁がやってくれる」と雑に言ってくる人がいますが、議論や取り組みを他人任せにせず先導していかないと、立ち遅れる状況に来ていると思います。
5. まとめ
本対談では、自律分散社会の構築には分散技術と、信頼の連鎖の起点となるトラストアンカーの役割が重要であること、トラストアンカーとなる存在(例:金融業界であれば銀行)にはモチベーションが必要となること、業際的に取り組まねばならず、異なるマナーを持った人たちに働きかけていかなければいけないことが議論された。これは貿易に限らず、さまざまな業界に当てはまるのでないだろうか。
社会を変えていくためにはトラストだけでなく、トラストな仕組みを作ろうとする者自身のレピュテーションが背中合わせとなっていることが肝要だ。
今後自律分散社会へと向かっていくにあたり現状よりもさらに困難な課題に取り組んでいくことになるが、異なる立場の人が、他人任せにせず、自らで「トラストをRe-Designする」姿勢が求められるのは間違いない。