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宿泊者の睡眠を医療機器レベルのデータで分析・提供
厚生労働省が発表した『令和元年国民健康・栄養調査結果の概要』によると、睡眠時間が6時間に満たない人の割合は、全世代平均で男性37.5%、女性40.6%。30~50歳代の男性および40~50歳代の女性では40%を超えているという。『OECD Gender Data Portal』によると、OECDに加盟する30カ国のなかで最短の睡眠時間である。そういった背景もあるのか。睡眠の質向上を謳う機能性食品やサプリが目立つようになった。また、ITで睡眠の質を高める『スリープテック』市場も急拡大している。
全国でカプセルホテルを運営する『ナインアワーズ』も、スリープテックを活用する企業のひとつだ。2021年から一部店舗において、宿泊客に睡眠解析サービス『9h sleep fitscan』を提供している。
「ナインアワーズは、従来の古臭いカプセルホテルが持つイメージを刷新。スタイリッシュな店舗デザインや機能性、快適性にもこだわり、若年層や女性、インバウンド需要などもターゲットにしています」と語るのは、取締役の渡邊 保之 氏だ。そんなナインアワーズが運営を担当し、NTTデータがオーナーとして開業するのが、『ナインアワーズ品川駅スリープラボ(Powered by NTT DATA)』(※1)である。
『ナインアワーズ品川駅スリープラボ』(※男性専用)では、全70床のカプセルユニットに睡眠解析センサーを実装している。まずは、『9h sleep fitscan』で運用されている赤外線カメラ・集音マイク・体動センサーを活用し、宿泊客に新たな器具を装着することなく就寝前後の行動やいびき、呼吸数や無呼吸の有無、心拍数、寝返りなどを測定するという。(データ収集・分析は同意済利用者向けのみ)
図1:カプセルユニット(ナインアワーズ水道橋にて撮影)。右下の写真はカプセル内に設置している赤外線カメラ。明かりを消した室内でも眼球の動きなどを検知する
睡眠状況はスマホアプリやウェアラブル端末でも取得できるが、『9h sleep fitscan』は、より精度の高いデータを取得できるのが特徴だ。医療機器にも使われる高性能な体動センサーを搭載し、集音マイクも指向性でしっかりと音声を捉えることができる。また、赤外線カメラを使い、スマホアプリやウェアラブル端末では検知できない睡眠中の動きもしっかり収集する。そもそも、カプセルユニットは寝ることに特化しており、余計な行動によるノイズも入りにくい。
株式会社ナインアワーズ 取締役 渡邊 保之 氏
「結果として、高い粒度のデータが取得可能です。取得したデータは分析してレポートとして本人に提供しており、睡眠時無呼吸症候群などの病気につながる危険性の把握や受診のきっかけ、睡眠の質を高める生活習慣への行動変容につながっています」(渡邊 氏)
また、一部のカプセルユニットでは、『9h sleep fitscan』に加えて、NTTグループの先端技術も生かされるという。「赤外線カメラ・集音マイク・体動センサーに加えて、NTT研究所で開発された技術を試験的に導入していきます」と語るのは、NTTデータで本事業を担当する横堀 涼だ。
「まずは、睡眠時の深部体温の測定を取り入れる予定です。深部体温の変動から体内リズムを測定することで、生活リズムとのずれを把握することをめざしています。すぐには実現できませんが、将来的には血糖値や血圧の測定など、NTT研究所が開発中のテクノロジーも組み合わせていきたいと考えています(※2)」(横堀)
図2:睡眠レポートサンプル ※本サービスは、AIによる自動解析をレポートにしています
- ※本施設は男性専用です
体内リズムの可視化をめざしたウェアラブル深部体温センサ技術|NTT R&D Website(rd.ntt)
IT企業とホテルビジネス 意外なコラボが生まれたワケ
NTTデータは1988年の設立以来、公共・金融分野をはじめとして、製造や通信などさまざまな分野でシステム構築を行い、IT業界をけん引してきた。ナインアワーズのシステムをテクノロジーの力で支えるなら合点もいくが、今回はオーナーとして自らホテル業界に参入している。その理由のひとつが、今回の取り組みを所管する、食品・飲料・CPG事業部にある。
横堀は、「以前より健康や食をテーマにした『Food&Wellness事業』(※3)を手掛けています。これまでも健康診断データや食事のデータなど、健康に関するさまざまなデータを活用し、生活者が心身ともに健康な生活を送るための取り組みを行ってきました。そのなかで、取得が難しく実現できていなかったのが睡眠データでした」と参入前の課題に触れる。
NTTデータ 第二インダストリ統括事業本部 食品・飲料・CPG事業部 第一統括部 統括部長 横堀 涼
「健康を構成する要素は、食事と運動、そして睡眠。その睡眠データを持っているのがナインアワーズさんです。ホテルに宿泊するだけでデータを取得できるのであれば、利用者にかかる負荷や抵抗がなくデータを増やすことができる。NTTデータの自社ビルであるアレア品川ビルを活用できないかとナインアワーズさんにお声掛けしたことから、今回の協業が始まりました」(横堀)
精密な計測システムと豊富な睡眠データをもつナインアワーズに、NTTデータがアプローチするのは理解できる。しかし、ナインアワーズ側は、協業相手には事欠かないはず。なぜNTTデータが選ばれたのか。その問いに、渡邊 氏はこう答えた。
「実際、ほかの通信会社も含めて、選択肢はいろいろとあったことも事実です。そのなかで、NTTグループはNTT研究所をはじめとした先端技術や幅広い事業領域をお持ちでした。例えば不動産に関しては、NTT都市開発があります。そういった意味では、ホテルビジネスにも会話が進みやすいと判断しました。実際に協業すると、良い意味で裏切られた部分があります。それは、スピード感。正直、トラディッショナル企業で、稟議を通すのにも時間がかかるのではないかと心配していましたが、さまざまなことがスピーディーに決まっていった印象です」(渡邊 氏)
NTTグループ内でのリレーションでは、現在は使われていない固定電話の通信局舎、いわゆる電話局をあらたなスリープラボとして活用することも考えているという。「NTTアーバンソリューションズや大手不動産デベロッパーとも連携しつつ、仕掛けていきたい」と語る横堀。渡邊 氏も、スリープテックホテルの店舗拡大の弾みにしたいと意気込む。
狙うのは異業種企業との睡眠データを活用した新規ビジネス創出
ここまでの経緯から分かるように、NTTデータはホテル分野だけで収益を上げることを目的としていない。横堀いわく、「3階建ての構造」だ。
「目的はホテル経営での利益ではありません。重要なのは、睡眠データを使った新たなビジネス創出や『ナインアワーズ品川駅スリープラボ』という場を使った販促活動。“3階建て”で今後の展開を見据えており、1階がホテルの売上、2階がデータ活用ビジネス、そして3階は販売促進。特に、2階、3階を新規ビジネスとして育てていきます」(横堀)
では、実際に『ナインアワーズ品川駅スリープラボ』で収集・分析されたデータは、どのように利活用されるのか。まずは、横堀が所属する部署が取り扱う、食品・飲料・CPG(消費財)だ。横堀は、「健康と食はつながっており、食品メーカー、飲料メーカーは、戦略的に健康に関する新規事業に取り組んでいます。そこに睡眠のデータを提供したり、メーカーが出した商品を喫食した場合の睡眠状況の変化を調べたりすることも考えています」と展望を語る。
販促活動はどうか。睡眠データの収集・分析に同意した宿泊者は、自らの睡眠状態に関心があるはずだ。「マーケティングの観点では、睡眠の質を向上させる商品を販売したり、サンプルを置いたりして、プロモーションを展開することも見据えています」と横堀は話す。まさに、睡眠×食×データの実験場になるわけだ。
「まだ検討中ですが、シリアル製品も手掛ける大手スナック菓子メーカーの睡眠サポート食品や大手飲料メーカーの免疫・睡眠のケア飲料などを販売できないか、話し合いを進めているところです。睡眠データを活用したい企業さんがいれば、ぜひお声掛けいただきたいです」(横堀)
渡邊 氏は「食品や飲料だけに留まらず、医療、製薬、フィットネス、不動産、寝具メーカーなど、多くの企業が睡眠にビジネスチャンスを見出しています。つきつめると素材メーカーともやりとりが発生します。むしろ、睡眠に興味がない企業の方が少ないかもしれません。」と語る。
めざすのは未病段階での行動変容
『ナインアワーズ品川駅スリープラボ』のオープンは8月9日。実は、それに先駆けて2023年夏には、ナインアワーズと共同でPoC(概念実証)を実施している。
NTTデータは、社員約1200人の健康データを利用したプラットフォーム『Food&Wellnessプラットフォーム』を提供しており、新規事業や新規マーケティング施策の有効性を確認するPoCに活用できる。この『Food&Wellnessプラットフォーム』において、次なるデータとして注目していたのが睡眠データだ。そこで、2023年8月から10月までの期間、NTTデータ社員40人を対象にPoCを実施し、「睡眠データと健康診断データの関連性」や「自身の睡眠データを知ることで起こる行動変容」についての可能性を検証した。
「PoCで収集したデータを分析した結果、睡眠データと健康診断データの関連性が明らかになっただけでなく、生活者の睡眠に対する一定の意識改善・行動変容の可能性を見出すことができました」(横堀)
この結果から、『ナインアワーズ品川駅スリープラボ』で取得する睡眠データと、健康管理サービス『Health Data Bank』(※4)の健康診断データなどを活用した生活者向け睡眠ソリューション事業へと踏み出すという。
図3:健康の3大要素である「食事」「運動」「睡眠」に関するデータを統合し、分析・活用することで真の生活者理解、ウェルビーイング向上へつなげていく
そして、最終的には、NTTデータが携わる医療データ基盤『千年カルテ』(※5)、食事・運動データ、購買データ、ウェアラブル端末によるバイタルデータなども組み合わせ、生活者一人ひとりの健康状態に応じたサービスの提供をめざしている。
渡邊 氏もNTTデータの動きに期待を寄せて、このように続けた。
「ナインアワーズはこれまでも睡眠データを活用した提案やコンサルティングを実施してきました。今後、NTTデータと協業することで、より強い提案ができると期待しています。まずは食品や飲料、消費財からですが、われわれが現状進めている医療や製薬との取り組みも加速させたい。この領域はいかに粒度が高いデータを提供できるかが重要になるので、今回の協業でその力をさらに上げていきたいと思います」(渡邊 氏)
『Food&Wellnessプラットフォーム』の先には、どのような世界が広がっているのか。NTTデータがめざすのは、未病段階でのレコメンドだ。最後に横堀は、めざすべき未来について、こう力を込めた。
「Food&Wellnessが実現したいのは、能動的に行動しなくても、自分自身の健康状態を知ることができる世界。取得したパーソナルデータを用いて、食品や飲料をはじめとした消費財メーカーや医療機関と共創しながら、生活者のウェルビーイング向上をめざしています。そのため、フリクション(手間やストレス)なく、普通に寝たり、食べたりしているだけで、病気になる前の状態のデータがしっかりと溜まり、病気になる前に改善や診断を促すレコメンドをできるようにしていきます。それによって、だれもが健康を維持できる世の中をつくっていきたいと思っています」(横堀)
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