1.製品カーボンフットプリントによる産業界の脱炭素化
気候変動は目に見える形で進行しており、暴風雨、熱波、水不足など、すでに壊滅的な影響を及ぼし始めています。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の「第6次評価報告書 第1作業部会報告書(2021)」では、人間による温室効果ガス(GHG:greenhouse gases)の排出が気候システムを温暖化させてきたのは疑う余地がないと結論づけています。
2015年のパリ協定の合意から世界各国がGHG排出量削減に向けて目標を定めています。世界のGHG排出量のうち産業界の排出量が約24%となっており、世界・国別のGHG排出量削減目標を達成するためには産業界の努力が必要不可欠です。産業界のGHG排出量削減に取り組んでいる企業を後押しするために、各国政府は、サステナビリティに貢献する企業や個人の行動に報いることを目的とした規制を導入し始めています。近い将来、GHG排出量削減目標達成のため、企業や個人に対してより影響力の強い法規制が各国で導入されることになるでしょう。
脱炭素の第一ステップは、GHG排出量を正確に把握する、つまり可視化することからスタートします。企業のGHG排出量の可視化には、「企業全体の排出量(CCF:Corporate Carbon Footprint)」と、「製品・サービス等の排出量(CFP:Carbon Footprint of Product(※1))」の2種類が存在します。CCFとCFPの概念的関係について図1に示します。
図1:CCFとCFPの概念的関係
CCFは、企業活動やエネルギー利用において直接・間接的に排出したGHG排出量(Scope 1、2)とそれ以外のバリューチェーンのGHG排出量(Scope 3)からなり、トップダウンで脱炭素を進める際に役立ちます。多くの組織にとって、排出量の大半は自社の事業以外(Scope 3)で発しています。大半のGHG排出量割合を占めるScope 3排出量の把握がGHG排出を削減する上で、最も重要なポイントの一つですが、自社管理下にあるScope1、2に比べ、バリューチェーンからの間接的な排出量を正確に把握・管理するのは非常に困難です。
CFPは、ある製品・サービス等のライフサイクルを通じて排出されるGHG排出量を算定した指標です(※2)。CFPを算定する際にライフサイクルの段階ごとに排出量を積み上げて算定するため、原材料の見直しやエコデザイン採用、廃棄物のリサイクル化等により、ボトムアップで排出量を削減することが可能になります。また、CCFのScope 3における上流GHG排出量を把握するためにもCFPが有用です。
Carbon FootPrint(CFP)と区別するため、英語圏ではPCF(Product Carbon Footprint)と呼ばれることが多い。また、日本では「製品」をつけずに「カーボンフットプリント」と表現されることも多い。
CFPの定義は、製品のライフサイクル全体(Cradle-to-grave:原材料採取から廃棄・リサイクルまで)における総排出量となっている。製品の使用や廃棄・リサイクルにおける排出量が条件によって異なる可能性があるため、最近では、原材料採取から製品の生産まで(Cradle-to-gate)の総排出量をCFPとして表すことが多い。
2.製品カーボンフットプリントが普遍的に利用可能な未来像
GHG排出量の少ない世界を実現するためには、まず未来像を描き、実現に向けて必要な技術開発、イノベーション創出、ルールメイキングなどの行動をおこすことが必要です。このような未来像は、サステナブルな社会に向けた世界的なシフトを加速させるだけでなく、個人、企業、政府や公共部門が気候変動を緩和するための十分な情報に基づいた意思決定を行うための指針となるでしょう。またそのような未来では、カーボンフットプリントのみならず、環境フットプリント(EFP:Environmental Footprint)も考慮した意思決定が行われているでしょう。本節では、CFPの活用によって、企業と政策がどのように変わるのかについて概説します(※3)。
図2:CFPが普遍的に利用されている未来像
産業界の未来像
CFPを普遍的に利用できる世界では、産業バリューチェーン全体で脱炭素化を追求し、環境と経済のサステナビリティを一体として考えます。CFPを算定するために必要な、GHG排出量を含む実態に合ったデータを安全に連携・検索でき、企業はバリューチェーンを評価して適切に修正するのが当たり前になります。大量生産・大量消費が少量生産・価値最大化へと変革し、生産関連データが重要な役割を果たしています。生産関連データを蓄積しデータ連携・検索、バリューチェーン評価・修正に必要なITシステムが整備され、データに基づいた意思決定が行われます。その基礎となるデータは、バリューチェーン上の各工場や生産現場から収集され、自動的にCFPが計算されます。算定されるCFPの信頼性は、第三者がCFP算定過程やデータを検証して担保します。製品数が多い企業やパーソナライズされた構成が製品ごとに異なる製品においては、人手で検証するのが非現実的です。そのような場合でも、AI技術などを活用したAudi-Tech(※4)システムが効率的に検証を行います。
このような未来の実現につながる産業バリューチェーン全体での脱炭素に向けた取り組みが、欧州や日本で動き出しています。欧州では、主に自動車業界ではCatena-Xを中心に、化学業界ではTfS(Together for Sustainability)を中心にバリューチェーン全体でCFPデータを含むデータを連携し始めています。日本では、経済産業省が主導して業界横断的な連携の実現を目指してウラノス・エコシステムの取り組みを開始しています。将来的に国を跨いだバリューチェーン全体でデータ連携を自主的に行う企業が増え、バイヤー企業がCFPデータ含む関連データを安全に検索できるようになるでしょう。また、工場や製造現場からのデータを効率的に収集し、システムと連携するためにManufacturing-X、Factory-Xなどのイニシアティブも立ち上がっています。このようなイニシアティブの成果が標準となり、製造業のデータ共有が活発に行われることが期待できます。
政策方針
CFPが広く利用可能になると、データに基づいた環境のサステナビリティに関する政策策定が可能になります。CFPが普遍的に利用されるための土台作りが政府主導で行われ、産業界へのインセンティブやペナルティが明確になっています。政府は、CFPから得られる詳細な情報を利用して、国全体のカーボンフットプリントを削減するために排出量の多いセクターに焦点を当てた、的を絞った気候政策や規制を策定します。そして、その政策や規制の効果をデータからすぐに確認し、対策を調整することで、市場に合った政策や規制導入を行います。
CFP削減には、幅広い業種の協力が必要であり、対策が長期及ぶこともあるため、教育も重要な役割です。そのため、各国政府としてCFPを含む環境関連の教育に力を入れており、義務教育でCFP、排出量削減、リサイクルやサステナビリティに関する知識やなぜそれが必要なのか、そのために何ができるかの理解促進を図る教育が強化されていることで、産業界や雇用市場で必要とされている人財ニーズに応えています。
政策としてサステナビリティや気候変動関連の科目を教育に取り入れた国がすでにあります。例えば、イタリア、イギリス、アルゼンチン、カンボジアでは、初等教育・中等教育に取り入れられており、アメリカ、ニュージランド、欧州連合などの教育システムではその準備を開始しています。また、国連の2030年持続可能な開発目標(SDGs)にサステナビリティや気候変動に関する教育強化が含まれており、目標達成のために行動する国が増えていくと予想されます。
詳細な説明については本記事末のホワイトペーパーをご覧ください。
本記事では、監査を効率的に行うためにIT技術を活用するAudit TechnologyをAudi-Techとして記載。
3.製品カーボンフットプリント算定に向けて企業がすべきこと
CFP算定のルール作りをはじめとした、CFPが普遍的に利用される未来を実現するための活動が活発化しています。その中で最も注目されているのが、電池のCFPなどのデータ開示を義務化する「欧州バッテリー規則」です。欧州バッテリー規則では、電気自動車(EV)用、産業用、携帯用の電池製品のCFP、リサイクル効率、材料回収率などの開示が義務付けられ、上限値が導入されます。その対象には欧州で電池の製造・販売、EV販売を行う欧州域外の外国企業も含まれ、対象製品のサプライチェーンに含まれる多くの国内企業も対応の準備をする必要があります。
欧州バッテリー規則は2025年から段階的に施行される予定になっています。2025年2月から電池の検証済CFPデータの公開が義務化されており、それまでに企業はCFP算定と検証を可能にする必要があります。しかし、具体的なCFP算定方法、CFP開示フォーマット、CFP検証方法などについては本稿執筆の時点で公開されていません。企業がCFP算定・開示をするにあたって必須となる重要情報の公開時期が遅れた場合も、規則は予定通りの時期に施行される可能性があります。また、施行後に対応を開始した場合、必要なデータ収集により多くの時間がかかる可能性があるため、必要となる時期を踏まえて、CFP算定の目的や用途明確化、CFP算定に必要なデータ検討開始、体制構築、バリューチェーンのステークホルダーの教育などをあらかじめ準備しておくとよいでしょう。
企業がCFP算定に向けてまず実施すべきことは、CFP算定の目的と用途を明確にし、目的や用途に応じて必要なデータを準備することです。それは、CFP算定の目的や用途によって算定に用いるデータが変わり、CFP算定の難易度とコストが異なるからです。難易度とコストを抑えてCFP算定する場合は、業界平均値などの2次データ使ってCFPを算定することが有効です。その場合、自社データではなく業界平均値データを利用するため、正確性が低い水準に留まります。正確性の高いCFPを算定するためには、自社やバリューチェーンから製造に関するデータを用いる必要があります。自社とバリューチェーンから実態にあったデータを共通的なデータモデルに基づいて連携することで、正確性の高いCFPが算定できます。2節で説明したような未来を実現するためには、正確性の高いCFP算定が必要です。そのため、本記事では、正確性の高いCFPを算定するために実施すべきことについて説明します。
現在、多くの企業がCFP算定の基礎となるデータを集めていないか、集めていても生産管理システム、設計情報管理システム、輸送システムなどシステムごとにサイロ化されたそれぞれ独自のデータ項目を持っていることがほとんどです。CFPを算定する際にはバリューチェーンからのデータに加え、複数システムからのデータを結合することが必要です。同じ企業内でも複数システムにまたがっているデータ項目が一致していなければ、そのデータを結合してCFP算定を効率的に行うことができません。そのため、CFP算定に必要なデータを整理し、その中のデータ項目を合わせることが出発点になります。また、複数システムを管理している部門が異なることで、専門知識がばらついている場合もあり、同じデータでもその項目名が異なっている企業も少なくありません。システム間のデータに関する企業内共通認識を持つために、データディクショナリーを用意して共通化することで、データ項目の解釈違いを避けられます。
企業が独自にデータ項目を整理し、共通的なデータモデルを作成してもそれをバリューチェーンの他社が理解できるとは限りません。正確なCFP算定を行うためには、バリューチェーン全体でのデータ共有が必須になることから、全員が理解できるようなデータモデルが理想的です。一企業がバリューチェーン全体に通用する共通データモデルを作成するのは容易ではありません。このような課題認識を持って、共通データモデルを標準化しようとしているイニシアティブがいくつかあります。PACT(Partnership for Carbon Transparency)がPathfinder Networkとして業界横断的なデータモデル(図3にその一部を示す)、Catena-Xが自動車業界向けのデータモデル、TfSが化学業界向けのデータモデルを作成しています。この3つのイニシアティブが独立して活動を開始しましたが、2024年3月現在データモデルを共通化する活動をESTAINIUM協会主導で行なっています。CFP算定を行う企業がこのような標準データモデルを採用し、取引先でも標準化されたデータモデルを採用してもらうための働きかけを行うことが必要です。例えば、標準データモデル採用のメリット・デメリットの説明や採用実現に向けての支援、必要に応じてインセンティブを与えるなどがあります。個社としてではなく自社とバリューチェーンの企業が同じデータモデルを用いてCFP算定に必要なデータをやりとりすれば、2節で説明したようなCFP算定に必要なデータを連携・検索できるシステムが実現します。
図3:PACT Pathfinder Networkで定義されているデータモデルの一部
信頼性の高いCFP算定・開示は、CFP削減のファーストステップであり、その実行には、社内体制の構築や伴走型の社外パートナー探しが欠かせません。また、合わせて経営層のバリューチェーン変革に必要なリーダーシップ、意思決定を反映させるための主要因の指標化、そのためのソリューション活用などの効果的かつ効率的に削減につながるロードマップを策定することが重要です。そして、そのロードマップに基づいて継続的に排出量を削減することがカーボンニュートラルな社会実現につながるでしょう。
4.さいごに
CFPが普及している未来とその実現に向けて企業がまず実施すべきことについて説明しました。本記事では、CFPに焦点を当てていますが、サステナブルな社会を実現するために解決しなければならない多くの課題があります。NTT DATAの考えるネットゼロが達成された未来社会や、必要なアプローチは以下のWebページにて紹介しています。ぜひご覧ください。
https://www.nttdata.com/jp/ja/services/carbon-neutral/
Emissions Trends and Driversについて:
https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg3/downloads/report/IPCC_AR6_WGIII_Chapter02.pdf
Should schools teach climate change studies? These countries think soについて:
https://www.weforum.org/agenda/2022/08/climate-change-schools-education/
Climate change and sustainability in education:5 steps we’re takingについて:
https://educationhub.blog.gov.uk/2023/12/21/climate-change-and-sustainability-in-education-5-steps-were-taking/
Council Recommendation of 16 June 2022 on learning for the green transition and sustainable developmentについて:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX%3A32022H0627%2801%29
経済産業省、環境省 カーボンフットプリント ガイドラインについて:
https://www.env.go.jp/content/000124385.pdf
あわせて読みたい:
【ホワイトペーパー】
製品カーボンフットプリントが普遍的に利用される未来
製品の環境負荷を可視化し、サステナブルな社会を実現するために企業がいまやるべきことをレポートにまとめました。
ダウンロードはこちら